◇愛のエンブレム◇ 81

ARMAT SPINA ROSAS, MELLA TEGVNT APES.
Suauem Amor (ecce) rosam dum deligit vngue rosetis,
A rigidis spinis saucia membra dolet.
Quod iuuat, exiguum; plus est quod laedit amantes:
Quaeque ferunt, multo spicula felle madent.
バラはトゲで武装し、蜜は蜂が隠し守る。
ほら、アモルがバラの木からすてきなバラの花を爪で摘もうとして、
固いトゲにやられて、腕を痛くする。
恋する者には楽しみはわずかだが、その受ける痛みは大きい。
トゲがもたらす胆汁✒は大量に溢れ出るのだ。
苦痛なくして喜びなし
バラを摘めば、トゲでちくりと刺され、
美味しいものを手に入れようとすれば、酢っぱいものを味わう。
愛の喜びに混じるのは、激痛をもたらす鋭い刃。
けれども愛をついに手に入れると、それまでの苦労は労苦にならない。
❁図絵❁
アモルが、トゲの生えた野生のバラの茂みに手を突っ込み、バラの花を摘もうとしている。
❁参考図❁

ルーカス・クラナッハ(父)(Lucas Cranach the Elder)「ウェヌスとアモル」1531年
蜂の巣を腕に抱えたアモルが、その母で愛の女神ウェヌスに、蜂が飛び回り刺されることを訴える。しかし女神はそんな訴えにはおかまいもなく、鑑賞者の方に妖艶な視線を送っている。木の幹につけられた銘板には、「人の求める愛の快楽は移ろいやすく、悲しみが伴い、苦痛をもたらす」とある。アモルの矢で射られて生じる愛の痛みは蜂蜜の甘い快楽よりも大きく、蜂に刺さされる痛みよりもずっと長く続く。
〖典拠:銘題・解説詩〗
典拠不記載:実際にはクラウディアーヌス✒『ホノーリウス帝✒の結婚を讃える祝婚歌』4歌12行。ここの歌では、花嫁がどんなに抵抗しても、花婿は花嫁を奪うことを勧めると同時に、そうした抵抗が大きければ大きいほど、奪ったときの花婿の快楽は倍増すると教える。該当箇所の数行前から引用すると次のようになる。「誰であれ、自分の対面を気遣い、トゲを恐れている限りは、/春の香を楽しむことはできないし、/ヒュブラ山[蜜で有名なシシリアの山]の蜜蜂の巣をその隠し所から奪うこともできない。/刺がバラには備わり、蜂が蜜を守る」(9-12行)。
典拠不記載:
〖注解〗
胆汁:四性説において、この体液は火の要素(暑さ、乾燥)に関連づけられ、怒り、攻撃性、そして情熱をあらわす。ここでは胆汁が苦いと考えられていたことから、苦痛を象徴している。「愛は蜜と胆汁に溢れている」(プラウトゥス『小箱の話(キステッラーリア)』第1巻第1場70行目)。
クラウディアーヌス:〔370年頃–404年頃〕)古代ローマ最後の詩人といわれ、政治家や軍人を美しく大仰にほめる頌詩と神話叙事詩によって一躍有名になる。
ホノーリウス帝:テオドシウス帝の子で、東と西に分割されたローマのうち、西ローマ帝国を受け継いだ(395年)。398 年に14歳で、事実上の実権を握るローマの将軍スティリコの娘と結婚した。彼の在位〔395年―423年〕のうちに、西ゴート族の侵入でローマは大規模な略奪の憂き目を見た。
〖比較〗
痛み:「恋せじと 御手洗川にせし禊ぎ 神はうけずぞ なりにけらしも」(詠み人知らず『古今集』501)。<大意>もう恋はすまいと御手洗川で身を清め神に願ったが、その願いは神に納受されることもなく潰えてしまったようだ。自分では、今こうして湧き上がる恋心を抑えなくてはならないことはわかっている。しかし恋心が収まるように神に祈願しても、どうしても抑えることができない、そういう自分に苦しんでいる。相手への想いは甘美だが、それは同時に苦々しい苦痛をもたらしている。なお御手洗川は神社の近くを流れる川で、参拝者が手や口などを清める所。
