◇愛のエンブレム◇ 101

Claudian.         NVLLI CVPIAT CESSISSE LABORI.

Cic.                 Onus non est appellandum, quod cum lætia feras,

ac voluptate.Solus Amor est, qui nomen difficulatis erubescit.

クラウディアーヌス どんな労苦にも屈しようとしない。

キケロー    気持ちよく楽しく引き受ける重荷なのだから、重荷とはよべまい。

「難しい」と口にするのをはばかるのは、まさに愛だけだ。

労苦があっても疲れない

   労苦がどんなに苛酷であっても、この労苦は辛いと口にするのも

恥じるのは、まさに愛だけだ。骨を折るのが休養で、

キツネ狩りや鷹狩りでは、苦労が楽しみとなるようなもの。

そうなるのも、手に入れたいという望みがすべてだから。


❁図絵❁

アモルが石柱を肩で抱え、右手に握った弓を離さない。脚で踏みつけているのは、体皮のついた雄牛の頭と鍬で、これらを踏みつけることで、アモルは剛毅と希望を克服し、それらを凌駕していることをあらわしている。

❁参考図❁

ヤン・ファン・デル・ヘイデン (Jan van der Heyden)「珍品のある静物」1712年

画面一番手前に置かれている聖書には「太陽の下、人は労苦するが/すべての労苦も何になろう。」(「コヘレトの言葉」1章3節)と記載されている。またマントルピースの上にかかっている絵は、アエネーアースに捨てられたカルターゴーの女王「ディードーの自殺」場面。愛ゆえに労苦を重ねても、空しい結果に終わる範例を示している


〖典拠:銘題・解説詩〗

クラウディアーヌス:[➽81番]『スティリコの執政官職務』2巻106行[➽81番]。スティリコはあらゆる美徳の持ち主で、その忍耐により体は頑健で、労苦に屈しないとほめている。

キケロー:[➽5番]『ウェッレース論駁』第2弁論3巻4節。シシリアの総督であったウェッレースの腐敗を法廷弁論家キケローが告発する。そのなかで、ローマでは他の人々をいろいろと告発するのがよくみられるが、キケローのこの告発の責務はそんなものよりははるかに重いと述べている。そしてありきたりの告発をすることは重い責務がともなわず、告発者は喜び勇んでその責務を引き受けていると、揶揄している。

典拠不記載:クレルヴォーの聖ベルナルドゥス「アウグスティーヌスもおっしゃっているように、難しいという言葉を知らないのは、まさに愛だけだ」(『聖愛論』3章15節)。神は人間に愛を示し、人間を創造したが、その恩恵に対して人間に要求されているのは他者への愛で、愛を示すのに困難がともなってはならないと教える。

〖注解・比較〗

石柱:精神の強靱さの象徴。「勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう。」(「黙示録」3章12節)。

雄牛の頭:ブークラーニウム(bucranium)とよばれ牛の頭蓋骨をかたどった彫刻が古典建築の装飾として用いられた。ルネッサンス期には、牡牛は耕作に利用されることの連想から、剛毅をあらわす象徴として認知された。

:錨と並んで希望の象徴。

『ウェッレース論駁』:ウェッレースはシシリアの行政長官であったとき、私欲を肥やすために圧政を敷いた。解任後にシシリア住民たちが訴訟を起こすが、その住民側の弁護士となったのがキケロー。短い弁論の中でウェッレースの悪事を告発し、その勢いは判決を待たずにウェッレースを自発的な国外逃亡へと追いやるほどであった。

クレルヴォーの聖ベルナルドゥス:〔1090年-1153年〕シート―修道会修道士で、その雄弁さゆえに<蜜の流れる博士>という別称をもっている。また深い神秘体験があり、フランスのクレルヴォーに創設した修道院の院長を死ぬまで勤めた。

重荷:「人恋ふる ことを重荷と になひもて あふごなきこそ わびしかりけれ」 (古今和歌集1058) 。あの人を恋しているが、あの人に()()(会うチャンス)がないので苦しいが、その苦しみは天秤棒(おうご)がなく重荷を背負っているようなものだ。


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