◇愛のエンブレム◇ 10

CEDERE NOLO IOVI, SED CEDERE COGOR AMORI.
Disce cupidineis concedere Termine dextris,
Cedere quem dicunt non voluisse Iovi.
Qui benè cœpit Amor, non hunc longæua vetustas,
Fortuna, aut tandem terminet vlla dies.
Boëth. Quis legem det amantibus?
Maior lex Amor est sibi.
ユッピテル神✒に屈することを私は望まないが、<愛>にはやむなく屈してしまう。
テルミヌス神✒、あなた様はユッピテル大神に屈することを
望まなかったといわれておりますが、愛の約束には負けると心得て下さい。
幸先よく始まったアモルは、老年も運命も
そしてついにはいかなる日々によっても、終わりはしないのです。
ボエーティウス✒ だれが愛する者たちを規則で縛れるか?
<愛>にまさる規則はないのだ。
何ものにも愛は妨げられない
愛の申し出を退けられるのは、ただアモルだけで、
そうユッピテル大神も誰も彼もが、皆そろって譲らなくてはならず、
誰もが愛の力に屈して隷従する。
ただその例外は、力でも動かしえない愛のアモルのみ。
❁図絵❁
アモルが、テルミニス神を奉った道標を蹴飛ばし、神を蔑んだような顔つきをしている。また右手には弓、左手にはシュロ(勝利の象徴)を持ち、アモルが弓矢を放って当てた相手は、テルミニス神に対して勝利をおさめることを表している。アモルの背景には、海の中を順風を受けて進む帆船と、海に浮かぶ大きな手こぎボートがある。愛の女神ウェスヌの異名は<海のウェヌス>(ウェヌス・マリーナ)であり、船乗りの守護神でもあった。これらの船はウェヌスに守られて、同じ海の中にあっても追突したり沈没したりして終わることはない。
❁参考図❁

ピーテル・コッデ (Pieter Codde)「ダンス・レッスン」1627年
中年の二人の女性が、同じく中年の男性たちからダンスのレッスンを受けている。中央の女性の胸には大きな赤いバラ(愛の象徴)がついていて、その真っ白い襟を引き立たせ、年齢を忘れさせる。この女性の背後にいるもう一人の中年女性は、真向かいに座り頬杖(恋愛の象徴)をついた男性にじっと見つめられている。この男性は、自分の背後のテーブルの上に、リュートと楽譜を置いているが、「リュートの魅惑的な技は美人の気を引きやすい」という当時のことわざに関係しているのかもしれない。いずれにせよ中年になっても年齢は「愛の妨げ」とならず、愛の炎は燃えるのだ。
〖典拠:銘題・解説詩〗
典拠不記載:参照オウィディウス[➽世番]「新しいカピトーリウム神殿が建立されたとき何が起こったか。神々は全員そろってユッピテル神に屈し、場所を譲ったが、昔からの言い伝えでは、テルミヌス神は自分が獲得していた居所から動かず、ユッピテル大神と神殿を共有する」(『祭暦』✒2巻667-670行)。
ボエーティウス:『<哲学>の慰め』✒3巻12歌25節47行。第12歌は「オルペェウスとエウリュディケー」の悲運。ずば抜けた詩人オルペェウスは、死んだ妻エウリュディケーを愛するあまり、冥界に下り妻を地上に連れ戻す許可を得るが、その際に、冥界の門を過ぎるまで、後から付いてくる妻を振り返って見ないという条件を付けられた。ところが通過寸前に思わず後の妻を見てしまい、妻を連れ戻すことに失敗する。引用は、妻を見てしまうその行為の動機について言及したもの。
〖注解・比較〗
ユッピテル神:神々と人間を支配する至高の神。嫉妬深い女神ユーノーを妻にしていたが、その目を盗んで様々な動物や事物に変身して、多くの女性と交わる。
テルミヌス神:境界を司る神で、日本の道祖神にあたるもの。ただしこの詩の場合には、愛を終わらせるような何か(老年、長い年月、運命)を司る神として意識されている。テルミヌス神のみが、至高神ユッピテルにたいして、神殿をユッピテルと共有した。
ボエーティウス:〔480年頃-524年頃〕東ゴートの王テオドリクスの執政官を務めていたが、反逆罪の疑惑で投獄処刑される。獄中で執筆した『<哲学>の慰め』は中世哲学においてよく引用され、ルネッサンス期にも継続してよく言及された。なお、この最初のスコラ哲学者の影響は、アリストテレス[➽2番]の論理学を継承し、普遍論争の種を播いたことにある。とはいえ、オウィディウスなどの文学作品に較べれば、思想文化への影響ははるかに限定的であった。
『祭暦』:〔8年頃〕ローマの各月、祭日、および祭礼などの起源が、月ごとに解説されている。古い事績ほど、真理を曇らずに留めていると考えた16-17世紀の知識人たちは、この書を非常に尊重した。
『<哲学>の慰め』:〔524年頃〕不条理な運命のはからいを嘆く筆者が、美しい女性の姿をした<哲学>[むしろ<愛智>]から、富・権力などこの世の移ろいやすいものを所有することが幸福につながるのではなく、「限りない生命を同時にまるごと完全」である神とともにあることだと教えられる。
終わりはしない:「あしひきの 山田を作り/山高み 下樋を走せ/下問ひに わが問ふ妹を/下泣きに わが泣く妻を/今夜こそは 安く肌ふれ」(『万葉集』712 下・歌謡)。「山に田を作ると、山が高いために、地下に樋を走らせなくてはならない。そのように、他人に知られないように私が訪ねていく妻、人目に隠れて泣く妻を、今夜こそ安心して肌にふれて寝よう」。軽太子が、軽大郎女にたいして詠んだ歌。二人は同母から生まれた兄妹であり、そういう二人が交わることは近親相姦として禁じられていた。しかも軽太子は父である允恭天皇の死後、皇位を継ぐことに決まっていた。にもかかわらず、太子は禁を破り、妹を妻として交わる。その交わりを決意したときの歌。愛の契りはタブーをものともしない。この後、二人の関係が発覚し、太子は弟の穴穂皇子(後の安康天皇)に捉えられ、伊予(現 愛媛県)に流される。そして大郎女は別離にたえられず太子の後を追い、伊予で再び合流する。しかし近親相姦の禁を破る身、そこで二人は心中を果たす。二人の愛は以後、終わることなく語りつがれる。
