◇愛のエンブレム◇ 41

AMOR FACIT ESSE DISERTVM

Mercurij dat Amor virgam subtilis amanti

Auream, & eloquij flumina blanda simul,

Moribus atque illum placituris format amicae.

Cui fauet almus Amor, sponte disertus erit.

愛は人を雄弁にする。

アモルは恋する男に、飾らずに話すメルクリウス神の黄金杖と、

その滑らかに流れる語り口とを授け、

女性に気に入られる態度が取れるようにする。

育み手のアモルが気に入った男には、雄弁が自然と備わるだろう。

愛は雄弁の作り手

 愛は、愛する男の舌を雄弁にしがちで、

愛にまつわる甘い綺想(きそう)で、女の耳を喜ばせ、

その心を動かし、そして男の落ち着かぬ不安は取り除かれる。

愛について何を語るかで、愛への造詣(ぞうけい)はしばしば明らかになる。


❁図絵❁

 アモルが、トーガ(ローマ市民が着用した服)姿のメリクリウス神から道ばたで杖を手渡されている。この杖が重いのか、アモルは落とすまいと両手でしっかり握っている。メルクリウス神の胸にはアモルの矢が刺さり、この神が授ける修辞の力は、たんに人を動かす説得力ではなく、恋人の心をも動かす力を持つことも暗示している。

❁参考図❁

ヘンドリック・ホルツイウス (Hendrik Goltzius) 「メルクリウス神」1611年

 メリクリウス神は、珍しいことにここでは絵の具と絵筆を持ち、右手には杖(カードゥーケウス)ではなく画家が細部を描き時に使う腕づえを持っている。この絵の依頼主は弁護士で、メリクリウス神を主題として選んだのは、この神が人災をもたらすカークス神を倒して人々を救ったこと、また修辞を司る神でもあったからといわれている。この神の背後には、舌を出して立っている少女がいるが、この少女が持っているのは、ガラガラとカササギ(いずれも駄弁の象徴)。雄弁の神と駄弁の少女というこの正反対の二人の間には、愛は成り立ちえないだろう。


〖典拠:銘題・解説詩〗
典拠不記載:参照ホラーティウス[➽21番]「あふれる盃によって雄弁にならない者がいるだろうか」(『書簡詩』1巻5書簡19行[➽26番])。

典拠不記載:

〖注解・比較〗
メルクリウス神:雄弁にして魂を動かす力をもった伝令・誘導神。
黄金の杖:メルクリウス神の持物であるカードゥーケウス(蛇杖)。この杖には、魂を動かす力があった。ウェルギリウス[➽3番]『アエネーイス』4巻242-44行[➽15番]。なお黄金であるのは、通例では杖ではなく、この神が足に履いている翼の付いたサンダル(ターラーリア)。同書同巻239-40行。
雄弁:女性に恋を打ち明けるときには、「弁舌を技法に従えることのないように。…君は自然と雄弁になるだろう」(オウィディウス[➽世番]『恋愛術』1巻609-10行[➽2番])。

雄弁:「唐衣 また唐衣 唐衣 かへすがへすも 唐衣なる」(源氏物語 行幸(みゆき))。「唐衣 またからころも からころもいつまでたっても ああからころも」(俵万智 訳)。光源氏を慕う末摘花(すえつむはな)が、光源氏の幼女の裳着(もぎ)のお祝い(女子の成人式)に着物を贈った。その着物に添えた歌にたいする光源氏の返歌。末摘花は、和歌への造詣が浅く、作るのも下手で、頻繁に唐衣という言葉を歌のなか入れる。とうとう源氏はあきれ果てて、このようなユーモラスで厭味な歌を返した。なお「かえす」は、唐衣の縁語で衣を裏返すという意味にもなっている。源氏による末摘花の和歌へのあてつけは、恋しているからといって即座に雄弁になれるわけではないことを教えている。「和歌には、その人の教養やセンス、そして性格までもが如実にあらわれる」(俵万智『愛する源氏物語』)。


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