◇愛のエンブレム◇ 32

OMNIS AMATOREM DECVIT COLOR.
Quod cupis, id cupio; quod spernis, sperno: tuumque,
Velle meum velle est, nolleque nolle meum.
Te propter varios, vt Proteus, induo vultus,
Inque modum chamae, crede, leontis ago.
愛する者にはどんな色もふさわしいのだ。
君が欲しがるものは僕が欲しいもの。君が馬鹿にするものは僕が馬鹿にするもの。
君の望みは僕の望み、そして君が望まないことは僕も望まない。
君のために、僕は海神プローテウス✒のように、いろいろな姿をまとう。
カメレオン✒のようにふるまうのだと、想ってくれ。
愛の望みのままに
愛する者はカメレオンでならなくてはならず、
自分のいる場にあわせて、しばしば姿を変えなくてはいけない。
愛する人の望みが自分の望み、彼女が命令ずることは自分が命令ずること。
ちょうど彼女が変わるように、自分も変わるのだ。
❁図絵❁
アモルは正面を向いて、手のひらに持っているカメレオンを読者にしっかりと見せ、右手でこの動物を指さし注目するように促している。
❁参考図❁

ジュゼッペ・アルチンボルド (Giuseppe Arcimboldo)「トカゲ、カメレオン、サンショウウオの習作」1553年
絵画において、花、樹木、動物、日常生活用品などがそれ自体として絵画の主題になって前面に描かれるようになったのは、17世紀前後のオランダ絵画においてであった。しかし自然界の生き物や無生物を執拗に描き続け、それらを組み合わせて、最終的に人間の顔や姿に諧謔的に仕立て上げたのが、アルチンボルドであった。この奇想の画家は、ハプスブルク家宮廷画家であったにもかかわらず、一生、独身であった
〖典拠:銘題・解説詩〗
典拠不記載:参照「どんな生き様、地位、財産もアリステイップスにはお似合いだ」(ホラーティウス[➽21番]『書簡詩』1巻18篇23行[➽26番])。犬儒哲学の創設者アリステイップスが、生き方、地位の高低、財産の多寡などに執着しなかったことへの言及だが、フェーンは愛する者は相手に合わせて何にでも変わるという意味に仕立てている。
典拠不記載:
〖注解・比較〗
プローテウス:捕まえられないように、また捕まえられても、自分の体の形を変えることができる海神。「地上に這うもの、同じく海のもの、そしてごうごうと燃えさかる炎といったようにあらゆる姿形をとる」(ホメーロス『オデュッセイアー』4巻417行[高津春繁 訳])ことができた。
カメレオン:色を変えることは気まぐれの連想としてよく用いられていたが、ここではむしろいろいろな状況や気持ちに合わせて自分を変えられる優れた能力として考えられている。ただし、小心な男と結びつけられることもあった(ジョヴァンニ・デラ・ポルタ『人間の観相学』)。
どんな色:「紅に そめしこころも 頼まれず 人をあくには うつるてふなり」(古今和歌集 1044)。「紅色に深く染めた心もあてにはできない。人に飽きるという灰汁で洗うと紅の色があせるということだ」(高田祐彦 訳)。男性の心変わりを、女性が皮肉った歌。心を紅色に染めるとは、紅が染料のなかでももっとも色が濃いので、男性が女性に、真剣に愛していると告白したことをあらわす。この歌では、女性の気持ちに調和するように男性が自分の心持ちや態度を変えていくのではなく、真摯に誓っても男性が女性に飽きて、勝手に心変わりすることを嘆いている。