◇愛のエンブレム◇ 30

Pindar SPES AMORIS NVTRIX OPTIMA.
Spes est quæ foueat, spes est quæ pascat amantem:
Quidlibet hæc perfert leniùs ac leuius,
Susceptumque semel constanter seruat Amorem.
At miser est verè, spe sine quisquis amat.
ピンダルス✒ 希望は、愛の最良の乳母である。
希望とは愛する者を育むもの、希望とはまた養うもの。
希望はどのようなことをも軽々と穏やかに耐え、
自分を受け入れてくれた愛に不断に仕える。
しかしそれにつけてもかわいそうなのは、希望がないのに愛している者だ。
希望が養う
希望は愛の温床、心地よい安らぎを生む。
希望は遅れに負けず、ぐずつく痛みをいやす。
希望のおかげで愛する者の胸には揺るぎない心が保たれる。
希望がないと、愛とは癒されない悲しみに過ぎないのだ。
❁図絵❁
アモルが希望をあらわす女性を抱きながら、その母乳を飲んでいる。希望は左手に葉(緑は希望の象徴)ないしはアイリス(希望の象徴)をもっている。背後では農夫が種を蒔いているが、これも希望(将来の収穫)をあらわす象徴的行為。
❁参考図❁

ピーテル・デ・ホーホ (Pieter de Hooch)「授乳する母と女中」1670-75年
17世紀、それも後半になると、それまでのように乳母に授乳を任せるのではなく、母親自身による授乳が中産階級では一般化してくる。ここに見られるように母親が授乳している間に、女中が買い物に出かける。したがって、希望は最良の乳母ではなく最良の母とした方が、フェーンよりも後の時代の人々には理解が容易になる。ただ授乳が描かれた場面には不思議と男性の姿が見えず、結婚愛が健在なのかを確かめることができない。
〖典拠:銘題・解説詩〗
ピンダルス:実際にはマルシーリオ・フィチーノ[➽17番]の訳文を改変したもの。「希望は、老年の最良の乳母である」(フィチーノ編訳『聖賢プラトン全集』「国家あるいは正義について」216ページ)。これはプラトンを踏まえており、プラトン[➽9番]の原文では、正しい生活を送ってきた者には、「つねに楽しくよき希望があって、『老いのみを養って』くれる。ピンダロスも言っているようにね」(プラトン『国家』✒331A[藤沢令夫訳])とある。
典拠不記載:
〖注解・比較〗
ピンダルス:〔前518年頃-438年頃〕古代ギリシアの最大の抒情詩人。祝祭競技の祝勝歌が特に有名。その詩の調子は次のようなものである。「どのような運命が私を待ち受けていようと、力に見合うかぎり、運命とつきあい、対処していこう。神がもしも富と安逸を授けてくださるなら、はるか先の時代にまで残るすばらしい栄誉を手に入れたという希望が持てる」(「ピューティア第3歌」)。
『国家』:正義が実現するための哲人による統治、哲人が学ぶべき善のイデアについての壮大な対話篇。イデア論(永遠で不可視のイデア界へ人間の魂は回帰し、この世はイデア界の影に過ぎないという説)を含めて、この書で展開される政治・哲学・人間学はルネッサンス・人文主義者たちの政治参加と政治手法に大きな影響を与えた。こうした古典的政治観を覆したのがマキャヴェッリ『君主論』。
希望とは養うもの:「ありとても 逢はぬためしの 名取川 朽ちだにはてね 瀬瀬の埋木」(新古今和歌集 1118 寂蓮法師)。「生きていても恋人に逢えない例という不名誉な評判を取りそうだ。いっそのことこのまま朽ちはてて(死んで)しまえ、名取川の瀬々の埋れ木(わたし)よ」(久保田淳 訳)。「逢ふ」は恋が成就することで、ここでは片想いになっていて、成就への希望が持てないこと。片想いという不名誉なことで評判をとり、自分は死んでしまった方がよいと自暴自棄になっている。そういう自分の姿を、恋人に向かってアピールし、なんとか希望をつなごうとしている。
